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シュタイナー 選集第十巻p86見霊意識は わたくしたちが 通常の 眠りの中で 無意識のままに 行うように 霊魂を 神体から離脱させます、 そしてその上でこの霊魂の営みをしようと努力します、 私がこれから述べようとするのはそのような認識によって得たものです 心霊科学の著書はいろいろあるが このような 己が己の肉体を 出て 霊魂となり霊魂の 世界を説明する 書籍は他にはない 、スウェーデンボルグも同じような霊界のことを報告しているが、シュタイナーはその体験を 今生きてる世界と 死後の世界にまたがっての論理的な説明をしているところが スウェーデンボルグと異なり、非常に得るところが多い、 他の霊能者の 現在の方々も ただ亡くなったかたとの交信の前ように止まり その奥にある 全体像世界観を描ききるものは いないように思われる シュタイナーについて学ぶことは、科学・哲学の中でどのように位置づけられるのか、心身問題にかかわってくる、それは現代の科学・哲学でも決着はついていない、私は、デカルトの心身二元論の立場をとる、心独自の運動形態があり、死後も独自の運動を行うことも一理ある、
p20外界から 疎外された幻想と 身体から疎外された幻想とは 錯 合 しすれ違い割れ目を与えるのである 外界から から疎外された 幻想 とはいったい何なのか 用語が難しい 個人の幻想は外界を もとにmして生まれてくるもの 進退を元にして生まれてくるもの 二つがあるということを言っているのか p23生命体は アメーバから 人間に至るまで ただ生命体であるという理由で 原生的疎外の 領域 を持っており したがってこの疎外の打ち消しとして存在している 本当に意味が分からない もう少し、分かる表現ができないものか、いまのところ、手におえない、、、  
p216もちろん信念欲求 それに思考過程と言った 洗練された 志向性は 知覚や飢えや乾きの感覚に比べてより複雑だし 環境からの影響による 脳の直接的な刺激からは 隔たったものだ、 だがそれらはまさに 脳過程より引き起こされ 脳のシステム内において現実化するのである 思弁的に何を語ろうと個人の自由ではあるが なぜその語るに 至った の過程を、 理由を述べなくては誰もが納得はできない 、著者はその真摯な作業を一切行なっていないように思える p378第一に この説明は 心的現象を 自然の一部としてのみ扱う 、意識や 指向性は 光合成夜 消化のような 自然世界の 一部として 考えられるべきである 、第二に心的現象を 因果的に 説明するために 用いられ る 説明装置は 自然を 全体として 説明するために必要な装置と同一である 、心的現象の 説明が試みられるレベルは 素粒子物理学の レベルというよりは 生物学のレベルである、 なぜなら 意識やその他の 心的現象は 生物学的な現象だからだ 、意識やその他の心的現象は 生物学的な 過程から 生み出される ある種の生物の器官に固有のものである 著者の結論として 述べている部分ではあるが 肝心要の 心と...
p1751 二元論が主張する二つの領域 神的なものと 物理的なもの の 関係を 知的に 理解できるように説明しようせた人が 誰一人いないこと 2その過程が不要であること 一人称的な事実と 三人称的な事実は全て 分離した 二つの領域を 家庭しなくても 説明できる 3その過程は法外な困難を生み出すこと 二元論の立場をとると 心的状態と 心的な出来事が どのようにして 物理的状態と 物理的な出来事の 原因になるのかを 説明できなくなる 要するに 随伴現象修行 避けられない もし私が身体が 滅びた時には 身体から 魂が 抜けれていくだろうと 考えたとしても それは論理的に可能なのだ 、だがそれは 宇宙はどのように 動いているかということについて わたくしたちが知っている 全ての事と相いれない 説明できた人が誰もいない、とか 困難を生み出すこと。、などの理由で 二元論を否定するのは どういう 意味なのか、そんなことで否定する根拠になるのか、 本当にこの人は哲学をしてるのか、自分でものを考えてるのか 、恥ずかしくないのか 、宇宙はどのように動いてるかなとは一体どこまで分かってるのだ、ほぼ分からないことが ほとんどではないのか 、それをもってし...
p158宇宙の中で 因果的に機能するものは 全て宇宙の一部でなければならない という当たり前の 意味で 物理的な宇宙は 因果的に閉じている 、主観的質的であること 志向性は 物理的なものに関する 三つの基準 空間的な位置と 広がりを持つこと ミクロな物理学によって 因果的に説明可能なこと 因果的に作用しシステムは 因果的に閉じていること からすると物理的である、 それら三つの性質は ある特定の期間の 脳内のある空間に 位置しており より低レベルの 過程から 因果的に説明可能で 因果的に 作用できる 著者は高名な 哲学者と 思っていたが それは間違いのようだ、 言葉一つ一つの使い方のいい加減さ 呆れてしまう 物理的物理的と言いながら何が物理的なのかの説明が全くない 、心的なものが ある特定の 期間の脳内の ある空間に位置しているなどと 何を理由にそのような 断言 ができるのか すべてがすべて 著者の考えの 過程が示されずただ 断言している 、これが哲学する様なのか呆れて物も言えない  
p156消化が 消化器系の生物学的な性質で あるのと同じように 意識とは脳の生物学的な性質だ 意識とは脳の生物学的な性質だ、何故、著者はこうも簡単に言ってしまうのか、自身でも一人称で発生する意識と、三人称であらわす物質とは次元が違う、という考えを述べている、それがこうも簡単に意識と脳の関係を述べてしまう、コトバの厳密な使い方をすっ飛ばしてしまう、著者の意識あるいは脳の中身を見てみたいものだ、脳の生物学的な性質と 意識との間には 大きな飛躍がある、 その飛躍を埋めない限り 脳と 意識との関係性は不明のままだ 、主観的な意識という言葉は 客観的なあらゆる対象に 対応はしない 、消化器系の生物学的な性質に つけられた名称が客観的な言葉である消化という言葉である、 客観的な脳の生物学的な性質に 主観的な内観で初めて感じる意識という名前をつけるのは 誤りだ、 主観的に感じることができる意識という名称を 客観的なあらゆる対象に対して その名前を付与するというのは 誤りだ 、その二者 は別物であり その間の 隔たりを埋める作業 、関係性を 探る作業を をしなくてはならない
p128ネーゲルの議論はこう述べている、私の身体は 私の心がないとしても存在できるだろうし まさにそのようにあるだろう 、従って私の心は私の 身体私の身体の一部 私の身体のいかなる機能とも同一ではないのだ 心の定義を考えなくてはいけない、 心とは何を意味してるのか 、自分に属する物質以外のもの全てを指しているということで説明がつくのだろうか、 喜怒哀楽・ 思索 ・問題の発見・目的への計画・ 実施する意識・ 悩み考え 決断する 、このように 列記し続けても定義の謎は深まる
p82同一説への反論ライプニッツの法則は任意の二つのものが同一であるなら両者は 全ての性質を共通に備えているはずだと主張する ※そうであろうそもそも 同一の定義自体がそういうことなのだから 心と脳が同一とは言えない 
p54 心的実体は 空間に広がるものではないからだ ※一体何を元にして著者はこのような断言ができるのだろうか心的実体も不明なままそれが空間とのどのような関係を持つかも不明なまま何の現象を元にしてこの考えを導き出すのか全く不明である哲学者はこのような言動が多いそれは物事を認識しその過程を説明する上でまったくもって間違った方法である思索を行うもの、つまり科学者哲学者をすべて含むわけたが、彼らは次の方法でその思索の過程を述べなくてはならないはずだ1.自分はこのような現象を真実と考える2.その結果背景にある法則はこのようなものである3.この法則を再度別の類似の現象でまた説明することはできていない、またはできている  
p41もし私の 自由意志が私の心の性質であり、他方で物理的世界ではあらゆることが決定されているとしたら、こころがどのようにして物理的な世界に影響をおよぼせるのかがわからなくな る。※物理的世界ではあらゆることが決定されている、とは、何のことか、ニュートン力学の適用範囲の現象か、生命を取り込んだ範囲をカバーするのか、そこを明確にしないから心身問題 はいつも定まらない。  
p16どれも謝った一連の前提の上に成り立っているその結果はどうかといえばよく知られている理論しかも影響力のある理論がそもそも全部誤っているという点で心の哲学は哲学の中でも類を見ないテーマである ※著者は大上段に振りかぶっているが果たしてその結果はどうなるか興味がある
p49内容を持っているという意味において、意味論的なのである。 ※著者は何をいっているのか、内容、意味の定義もしないで勝手に使っている、自分の言葉に酔っている、そんな二日酔いだらけの言葉の数々、忙しい身にすれば、つきあってられない、  
p46 知能というものを 振る舞いのパターンと考えるべきかその背後にあってそうしたパターンを実現している何かと考えるべきか。これについて決着をつけることはできそうにない。 著者は自分で考えているんだろうか、知能は、「パターンを実現している何かと考えるべき」しかないでしょ。こんな著者の本を400pも読み続けて時間の無駄にならないか心配である。
p11 心というのはとどのつまり脳の働き、脳って物質脳の働きも結局のところ複雑が化学反応にすぎない この世は要するに物理的なものだけで出来ておりそこで起こることは全て煎じ詰めれば物理的なもの同士の物理的な相互作用に他ならない 上記のように思考することは、精神の働きである。唯物論、といっても、その単語自体が、精神のかたまりである。唯心論、といっても、その単語自体が、精神のかたまりである。つまり、精神(こころ)がモノもコトもココロも全てを包含している。  
第1章 近代科学の原点1 アリストテレスの哲学と自然学存在論・事物の基本的存在-具体的個物-第一実態-実在の基盤・対極にあるのが抽象/概念認識論・初めに感覚の内に無かったものは知性の内にもない学問論・分類・幾何学と数論(算術)とは類を異にする自然学・自然事物の運動変化の四つの原因概念・「素材因(質量因)」「形相因(本質)」「目的因」「起動因(作用因、動力因)」
ユング・ウィルバー・シュタイナーの3巨匠をエリクソンの地平から眺めるという、壮大な構想の下に感情を抑えた冷静な筆致で描かれている。ただ、ユング、ウィルバーが用いる概念は難解で、本書を読み通しても理解は困難であった。その概念の成立は、どのような道筋により成り立ったのか、そして、それは妥当なのか、が腑に落ちないと納得はいかないものであろう。その点、シュタイナーの概念は理解しやすい、また、その依って立つ根拠も自身の超能力に由来するもの、と、明確である。本書の本当の蜜を味わうためには、今しばらくしてから、本書にたちもどるしか、現在の私にはとる方法は無いようだ、、