James Leininger

ジム・タッカー博士の論文の和訳(管理者訳)を掲載します。
https://med.virginia.edu/perceptual-studies/wp-content/uploads/sites/360/2017/04/REI42-Tucker-James-LeiningerPIIS1550830716000331.pdf

実証できる心霊事象だけを集めている中で、このジェームズ・ライニンガー君の事象は特筆に値すると思います。

ただ、論文中、明示されている証拠物件が限られているので、他の証拠物件を公開していただけるよう、カッター博士に11/16にメールにて依頼しました。

 

粗読しただけなので、意味が通じない箇所もありますが、今後、手直ししていきます。

誤訳を指摘していただければ嬉しく思います。

 

年月日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(0歳)1998/04/10
(1歳10ケ月) 2000/2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2歳)2000/4


(2歳)2000/4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


(2歳3ケ月)

 

 

 

(2歳4ケ月)2000/8/27

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

(3歳10ケ月)2002/6/2

 

 

 

 

 

(4歳)2002/8

 

 

 

 

 

 

 

 

(4歳)2002/9

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (12歳)2010/4/10

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

重要項目

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

誕生

飛行博物館へ行く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


飛行博物館へ行く


飛行機が 火事で 壊れる と 言う習慣を持つ

 

悪夢を見始める

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


飛行機は日本人に撃たれた
ジェームズくんの飛行機はコルセア

 

 

ジェームズくんは ナトマ と言いました
お父さんは インターネットでその 言葉を 調べそして実際に uSS ナトマベイの名前を発見
お父さんは 発見した情報を印刷しました そしてその印刷物の フッターには 日付が乗っています(2000/8/27)

 

 

 

 

 

 

 

ジェームズくんはそれはジャックラッセンだよと答えました

 

 

 

 

149  それから数週間後ジェームズくんのお父さんは ナトマベイの 退役軍人に 聞きました その方は ジャックラッセンを知っている人でした
150  その退役軍人の方は ある日 ジャックラーセンは飛び立ちそして戻ってこなかった それで誰もがジャックラーセンに何が起こったのか わからなかった

 

 

ジェームズ君はその絵にジェームズ3とサインをしました

 

  


ストレンジミステリーズという番組のインタビュー

 

 


ジェームズくんのお父さんとこの ABC のプロデューサーが 協力してジャックラッセンを探していたという事実


その2ヶ月後ジェイムズ君のお父さんは ある退役軍人に手紙を出しましたその退役軍人という方は ジャックラッセンは以前ナトマベイに乗務していたということを お父さんに言った方でした
この 手紙で ジェームス君のお父さんが ジャックラーセンについて述べていること自体 本当にジャックラッセンを探していたという証拠になります

 

 

 

 


188  お父さんは初めてナトマベイの同窓会に出席しました

 189  そこでお父さんは ナトマベイを飛び去ったジャックラーセンは 戦時中生き延びて いるということを知りました
190  ジャックラーセンは その同窓会には 来ていませんでしたが 彼はまだ 生きているということなので ジェームズくんのお父さんはすぐに彼を訪ねました
191  またジェームズ君のお父さんは次のことを知りました ナトマベイから飛び去ったパイロットで 硫黄島の戦いで 亡くなったのは ただ一人の パイロットでした 彼は 21歳で ペンシルバニア出身で名前はジェームズヒューストンジュニアということでした
195  その同窓会の後 ジェームズくんのお父さんは ジェームズヒューストン の 捜査を始めました その証拠としては ジェームズくんのお父さんが ヒューストンの情報を探そうとしてウェブサイトに 投稿したものが その証拠と してあります
197  ジェームズくんのお父さんは ヒューストンは実際のところ 硫黄島でしんだわけではないことを知りました
198  その代わり次のような事情がありました
初回の攻撃に続く戦闘として ヒューストンは 8人の中の 一人のパイロットでしたそのパイロットとたちというのは 空母から飛び立つ人達で 次のような役目を持っていました 父島の近くにある港にいる輸送船を攻撃することです というのは 日本人は 軍隊の入れ替えや 物資の供給を 準備していたからです
202  彼の飛行機は ジェームズくんが 言ったのと全く同じような形で 破壊されました それはテーブル1 に 詳細を述べている通りです
203  ヒューストンの飛行機が撃墜された 日の 飛行経路の レポートは それぞれ8人のパイロットが 通った経路の 図も 入っています
ジェームズくんが 言った名前のジャックラーセン と言う もじも ヒューストンの横のパイロットとして 出ています
207  ヒューストンは硫黄島作戦で 亡くなったただ一人のパイロットであるということ 並びに ジェームズくんが 述べている詳細と ヒューストンの実際の詳細が非常に 一致していることを考えて ジェームズ君の両親は 次のように結論しました ヒューストンはジェームズくんが 前世から呼び起こした人そのものであるということ

 

 

 

 

私は 2日間ジェームズ君のご家族のインタビューに費やしました

 

ジェームス君のお父さんは ヒューストンや船舶に 関係する記録 ジェームズくんのご家族の 体験を示す写真や 年表を見せてくれた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

論文和訳

ジェームズ・ライニンガーのケース
アメリカでの生まれ変わりの事例
Jim B. Tucker, MD

要約
4 小さな子供達のたくさんのケース  前世の記憶を報告する  過去50年間あまり研究されている 
6 そのようなケースは より一層簡単に 生まれ変わりを信じている文化圏にて発見されるが の発見は 西洋でも同じように発見される
8 この論文ではジェームズライニンガーくんの 例 を述べます 彼は アメリカの子供で2歳 その時 こうきの墜落する 非常に強い悪夢を見始めた
・彼はそれから アメリカ人のパイロットについて 述べた その彼というのは 殺された 彼の飛行機が 日本人によって 撃たれた時
・ 彼は 詳細を述べたその詳細というのは アメリカの空母の名前 空母に彼と一緒にいた 友達の姓名 そして 墜落したことについての その他の具体的なことやその場所
・ 彼の両親はついにジェームズヒューストンという名前の 第二次世界対戦のパイロットの 死んだこととジェームズくんの言ってることとの間の非常に近い一致点を見出した
・ ヒューストンのことが確認に発見される前にジム君が言ってることの証拠というものには 放送はされなかったが テレビのインタビューの 証拠も入っているそしてそれは 私 タッカーが 見ることができるものであります

・ 序章
・ 前世を述べる小さな子供の ケースについては ここ50年ほどシステマティックに研究されています
・ 個別のケースについては早い時期に研究されています それはスティーブンソン博士 が 1961年 インドでの 熱心な研究から始まりました
・ 彼はその後40年間それらのケースを研究いたしました そして彼は 生まれ変わりのケースについて言及しています
・ その多くの場合 その子供たちが 述べた詳細というのは その亡くなった 人の 生活と 一致しているということがわかりました スティーブンソン博士は それを 前世の 性格と よんでいました
・ スティーブンソン博士に続く他の研究者たちも 独自に 似たケースを報告しています
・ 全ての研究者は 生まれ変わりを一般的に信じている文化のある 場所で そのような生まれ変わりの ケースが容易に見つかるような場所で研究をしていました しかしながらスティーブンソン博士は ヨーロッパやアメリカでも 同様の研究を行いました
・ 人々が生まれ変わりを信じる地域で ほとんどそのような 生まれ変わりの 現象が生じたので ある人は そのような生まれり代わりの現象が生じるのは 社会的文化的な 環境というのが非常に大きな要因ではないかと 述べました
・ 両親が信じていることや期待というのが次の二つを形作る要因であると思われている、「 両親が 子供達の言ったことの解釈」と「 亡くなった事の人がまだ 詳しく確定されていない前に 子供がその人について知っていることの 記憶」
・ 次のことが考えられている
その子供の 家族が 前世の家族と会い、そして情報を交換した後 その子供が実際に 前世の人について述べた以上の 明確な知識がわかることによって子供が言ったということは正しいと認められている
・ いくつかのケースにおいてその説明の正当性を保証するのは少なくとも その言われている前世の人が どのような人かが分かる前に その子供が言ったことの記録であります
・ そういった記録がある場合には その子供が 述べた 前世の人が詳しく 確定される前に その子供が 自分から独自に本当にそういったかどうかについての疑問をはさむ余地はありません
・ 限られた ケースではありますがそのような記録が残っている例もあります
57 このような証拠を伴った西洋のケースの場合には特別に重要であります
58 ジェームズライニンガーは ブルースアンドレア夫妻の子供であります 夫妻は アメリカルイジアナに住んでいるプロテスタントの夫婦であります
・ ジェームズ君は2歳の初め頃 次のことを示唆するようなことを述べたり また振る舞いを行いました 、 彼が若い男の人で 第二次世界対戦に 亡くなったアメリカ人の パイロットの生活人生を覚えてるような こと そのパイロットは 今はジェームズヒューストンジュニアとして 知られています
・ このケースというのは非常な注目を集めましたというのは ライニンガー夫妻はいくつかのテレビのインタビューで ジェームズくんの話をしたりまた実際 ジェームズくんの話についての本を出版したからです
67  私も私の最近の書籍にこのケースのについての一章を設けてのせております
68  このレポートは ジェームス君が言ったことや その振る舞いについてのより完全な評価をしています そのジェームズ君が言ったことや振る舞いというのは パイロットである Houston 氏がまだ彼自身と 確定される前の出来事です そしてそのことは このジェームズくんのケースが示唆している前世との 関係の証拠を評価するうえで 非常に重要なものとなっています
72  このケースというのは 弱点があります その弱点というのは ジェームズくんのお父さん自身が 前世の 人物を特定しようとして 努力したことです しかしながら 利用ができるその非常に内容のある証拠というのは ジェームズくんが言った内容と実際に亡くなったパイロットの死、それからその生活の間に非常に 近い 類似性があることを示唆しています

78  ケースの詳細説明 ジェームズ君が言ったこととその振る舞いについて
79  ジェームズくんは1998年4月10日に生まれました
80  ご両親によると 最初の 目立った事象は 2000年 2月に起こりました それはジェームズくんが生後22ヶ月のことです
82  彼のお父さんはジェームズくんをダラス郊外にある キャバナウ飛行博物館に連れて行きました ご家族は その時テキサス州に住んでいました
84  ジェームズくんは飛行機に魅せられました そして特に 第二次世界対戦の展示に魅せられました
85  お父さんとジェームズくんが3時間ほど博物館に いた時ゲームズ君はおもちゃの 飛行機 とブルーエンジェルの マジックと呼ばれているビデオを 買ってもらいました ブルーエンジェルというのは 海軍の エキシビションの チームのことです
88  ジェームズ君はそのビデオを非常に気に入りそしてそのビデオ繰り返し何週間も見ていました
89  この博物館 への 小旅行 とビデオ というのがジェームズくんの 飛行機への愛情を もたらすきっかけと なりました またはもともと 内部に持っていた飛行機への愛情の蓋を 開けたとも言えます
90  この熱情というものが 飛行機の いくつかの 知識をジェームズ君にもたらされました そしてしばしばジェームズくんは その 飛行機の知識をご両親に言うことによってご両親は驚かされました
92  しかしながらこのビデオというのは 第二次世界対戦についてのジェームズくんの 情報源では決して ありません というのもブルーエンジェルというチームは 第二次世界対戦後1946年に設立されたからです
96  ジェームズくんとお父さんは その博物館へ2回目の 立ち寄りをしましたその春の遅い時期です それは週末の メモリアルデーの時でした
97  ジェームズくんは再び その博物館に 滞在してる最中 ずっと興奮していました しかしながら 第二次世界対戦の 飛行機が格納されている 倉庫の中では 静かになりました
99  ジェームズくんは 立ち尽くして 飛行機を凝視し そして指差しました それはまるで 畏怖の念があるようでした
101  最初の博物館への 訪れた後 2ヶ月のうちに ジェームズくんは 飛行機が 火事で 壊れる と 言う習慣を持ちましたそしてジェームズくんのおもちゃの飛行機の 機首を おうちのコーヒーテーブルに 強く打つ習慣も もちました
103  彼は この振る舞いを何度も何度も繰り返してしまいには テーブルにたくさんの擦り傷や穴ぼこを 作ってしまいました
105  ジェームズくんのお父さんは 仕事であちこち 飛び回りました そしてジェームズくんとお母さんがお父さんを見送りに空港に行った時ジェームズくんは しばしば「お父さん火事で飛行機が壊れるよ」と言いました
107  お父さんが 何回も注意しても この振る舞いは何回も繰り返されました
109  この頃ジェームズ君は悪夢を見始めました
110  ジェームズくんの 悪夢での振る舞いというのは 最初、 泣き叫ぶ ことを 引き起こしていました しかしながらそれから 次のような言葉も同様に発するようになりました 「飛行機が火事で壊れる 小さな人は出ることができない」( ご夫婦の出版された本の中では ジェームズ君のご両親は 次のように 書いています 「飛行機が壊れた 飛行機が火事だ 小さな人は出ることができない」 しかしながら その本の出版よりも もっと早くに書かれたものや インタビューでは ご両親は はじめに述べた身近な文章を 使っていました)
115  ジェームズ君は 何回も何回も叫んだ それは 手足をバタバタさせてそして 足を空に キックしている間中でした


117  このことが起こった後の数ヶ月後 ジェームズくんは お父さんお母さんと その夢について 何度か 話をしました 通常はジェームズくんが 寝ようと している 時でした
119  ジェームズくんは それらは 過去の出来事の記憶であるということを示しました 
120  ジェームズくんは 飛行機が火に包まれたと言ったり 飛行機は日本人に撃たれたと いいました
121  それらの話の後 一週間経ってジェームズくんは言いました ジェームズくんの飛行機はコルセアでそれは 第二次世界大戦中に開発された戦闘機 だということです そしてジェームズくんは 何回か コルセアの飛行について話しました
126  2000年8月27日 その時はジェームズくんは生後28ヶ月でしたが ジェームズくんは 船から 飛び立ったと言いました
127  ご両親がジェームズくんにその船の名前は 何と聞いた時にジェームズくんは ナトマ と言いました
129  その会話の後 お父さんは インターネットでその 言葉を 調べそして実際に uSS ナトマベイの名前を発見したのです 第二次世界大戦中 太平洋に配置された 護衛艦でした
132  お父さんは 発見した情報を印刷しました そしてその印刷物の フッターには 日付が乗っています
134  ジェームズ君のご両親はジェームズくんに何度も夢に出てくるその小さな 男の人 の名前を尋ねました
135  ジェームズくんはいつも それは僕だよとかそれはジェームズだよとご両親に答えました
136  ジェームズくんが ナトマという言葉を言った2・3週間後 お父さんお母さんは ジェームズくんに いわゆる小さな人と言っている 人と 一緒にいた 誰かを知っていますかと聞きました
138  ジェームズくんはそれはジャックラッセンだよと答えました
140  ジェームズ君がちょうど2歳半の時 のある日 ジェームズくんのお父さんは 自分の 父親のクリスマス にあげようと 思っていた本を ざっと読んでいました その本の題名は 硫黄島の戦い1945というものでした
144  ジェームス君のお父さんは次のように伝えています  ジェームズくんは その硫黄島の 航空写真を 指差しました そこの場所は 休火山のすり鉢山がありました そしてジェームズくんは座って、いいました ここが僕の飛行機が墜落したところだよ
147  お父さんは何だって 聞きました そしてジェームズくんは お父さん僕の飛行機はここで墜落したんだよと答えました
149  それから数週間後ジェームズくんのお父さんは ナトマベイの 退役軍人に 聞きました その方は ジャックラッセンを知っている人でした
150  その退役軍人の方は ある日 ジャックラーセンは飛び立ちそして戻ってこなかった それで誰もがジャックラーセンに何が起こったのか わからなかった
153  ジェームズくんの悪夢が続いている間 ジェームズくんの お父さんお母さんは実際にキャロルボーマンに連絡を取りましたキャロルボーマンは 子供の前世の記憶についての本を書いている人であります
155  ご夫妻と キャロルボーマンは 長いやりとりを始めました
156  ボーマンの助言に従ってジェームス君のお母さんはジェイムズ君に 次のようにわかってもらえるように言いました ジェームス君が言っている出来事は 実際に過去に起きたことですが それはあくまで過去のことでありジェームズ君は 今を生きているのだから安全なんだよとジェームズくんに わかってもらえるように言いました
159  その悪夢というのはそれから 徐々に 暴力性が なくなっていって頻度も少なくなりました
161  ジェームス君のご両親は次の事を言いました ジェームズ君が絵を描ける 年齢になった時に 飛行機を含んだ戦闘シーンを たくさん描きました
163  ジェームズ君はその絵にジェームズ3とサインをしました
ジェームス君のご両親が ジェームズ3というサインについて 聞くと ジェームズ君は答えました それは自分の年齢ではなくて自分がジェームズ3世の3だよと答えました そしてジェームズくんは 4歳以降になっても 同じようにジェームズ3という サインを 書き続けました
166  ジェームズくんは自分のことを 3番目のジェームズ と 思っていたのかもしれないなぜならジェームズヒューストン パイロットはジェームズジュニアであったからです
169  2002年の6月2日 ジェームズ君のご両親は ABC ニュースの インタビューを 受けて いました そのインタビューというのは ストレンジミステリーズという番組の 一部に使われる予定でした
171 その番組というのは放送されませんでしたしかし 私自身も その番組のインタビューを受けたので ABC News は私にその番組の部分を 送ってきました
173  その当時のインタビューされた時期には まだヒューストン という人は 誰だかは 分からない状態でした
174  テーブル1の一覧表というのは この当時のインタビューで 述べられた項目と その後実際にわかったヒューストン の 内容と比較したものです
それらの比較一覧表は全て正しいか少なくともヒューストンについての記述は非常に正しいものとなっています
177  当時のインタビューが 終わった後引き続きジェームズのお父さんは aBC の プロデューサーと ジャックラッセンについて 調査を続けるように協力しました
178  aBC のプロデューサーは 海軍歴史センターと連絡を取り jOHN larson という名前を見つけました
180  ただこの方は ナトマベイに乗っていたジャックラーセンとは違う人であるということが最終的には分かったんですが それとは別に ジェームズくんのお父さんとこの ABC のプロデューサーが 協力してジャックラッセンを探していたという事実は このジェームズくんの話に対しての 証拠としては有益なものであります
184  その2ヶ月後ジェイムズ君のお父さんは ある退役軍人に手紙を出しましたその退役軍人という方は ジャックラッセンは以前ナトマベイに乗務していたということを お父さんに言った方でした
186  この 手紙で ジェームス君のお父さんが ジョンラーセンについて述べていること自体 本当にジャックラッセンを探していたという証拠になります
188  その一か月後ジェームス君のお父さんは初めてナトマベイの同窓会に出席しました
189  そこでお父さんは ナトマベイを飛び去ったジャックラーセンは 戦時中生き延びて いるということを知りました
190  ジャックラーセンは その同窓会には 来ていませんでしたが 彼はまだ 生きているということなので ジェームズくんのお父さんはすぐに彼を訪ねました
191  またジェームズ君のお父さんは次のことを知りました ナトマベイから飛び去ったパイロットで 硫黄島の戦いで 亡くなったのは ただ一人の パイロットでした 彼は 21歳で ペンシルバニア出身で名前はジェームズヒューストンジュニアということでした
195  その同窓会の後 ジェームズくんのお父さんは ジェームズヒューストン の 捜査を始めました その証拠としては ジェームズくんのお父さんが ヒューストンの情報を探そうとしてウェブサイトに 投稿したものが その証拠と してあります
197  ジェームズくんのお父さんは ヒューストンは実際のところ 硫黄島でしんだわけではないことを知りました
198  その代わり次のような事情がありました
初回の攻撃に続く戦闘として ヒューストンは 8人の中の 一人のパイロットでしたそのパイロットとたちというのは 空母から飛び立つ人達で 次のような役目を持っていました 父島の近くにある港にいる輸送船を攻撃することです というのは 日本人は 軍隊の入れ替えや 物資の供給を 準備していたからです
202  彼の飛行機は ジェームズくんが 言ったのと全く同じような形で 破壊されました それはテーブル1 に 詳細を述べている通りです
203  ヒューストンの飛行機が撃墜された 日の 飛行経路の レポートは それぞれ8人のパイロットが 通った経路の 図も 入っています
ジェームズくんが 言った名前のジャックラーセン と言う もじも ヒューストンの横のパイロットとして 出ています
207  ヒューストンは硫黄島作戦で 亡くなったただ一人のパイロットであるということ 並びに ジェームズくんが 述べている詳細と ヒューストンの実際の詳細が非常に 一致していることを考えて ジェームズ君の両親は 次のように結論しました ヒューストンはジェームズくんが 前世から呼び起こした人そのものであるということ
211  ジェームズ君の両親は 同様に他の詳細な事柄も 話しましたが それらの事柄の 証拠として採用されるべきである ヒューストン 自身が確定される前の 証拠はないものでした
213  ジェームス君のお母さんは 次のように言いました ジェームズ君のお母さんはジェイムズ君が言ったことのメモをしていましたが それらは紛失してしまったかまたは 捨ててしまった その時期というのは ご夫婦が自分たちの本を出版した後 ということでした
215  ジェームズ君のご両親は次のように言っています ジェームズくんはジェームズくんの家族の生活についての 詳細を述べていました その詳細というのは ご両親が ヒューストンの 姉妹と 電話での話で 確認しているとのことでした
217  私はそのヒューストンの 姉妹に 事の真相を確認しようとしました
218  ジェームズ ヒューストンの姉妹は 私が連絡を取ろうとしてる時は91歳になってました そして 彼女は およそ5年前の 会話の詳細というのを思い出すことはできませんでした ただジェームズ君のお母さんが 彼女の父が ある時アルコール中毒 たったかどうかたずねた ということは覚えていますそして実際に 彼は アルコール中毒でありました
223  ジェームズ君のご両親は次のように述べています ジェームズくんは 概して 第二次世界対戦の飛行機についての知識を持っており またご両親を驚かせるようなナトマベイでの 生活の 知識も持っていました
225  ジェームス君の 飛行に対する 興味や 第二次世界対戦 に対する興味というのは ジェームズくんの一般的な知識として説明できるかもしれないが しかしながら ご両親でさえ知らないナトマベイについての 詳細な情報を 述べるようなジェームズ君の能力については説明できない
228  繰り返しになりますが これらの追加された 発言の 証拠として ジェームズヒューストンが明らかになる前に ジェームズくんが言ったという証拠というのは ありません
230  調査とその後の進展
231  私はジェームズ君のご両親との四五年にわたる散発的な やり取りのあと 私は 2日間ジェームズ君のご家族のインタビューに費やしましたそのインタビューというのは ジェームズくんの 家で ジェームズくんが 12歳の誕生日を迎える時でした そのインタビューでは ジェームズくんのそれぞれのご両親とジェームズ君自身にもインタビューをいたしました
234  私はジェームズくんのケースを早い時期に調査しようと努めましたがジェームズ君のご両親は 彼らの 本を出版する まで 私と 会うことを 待つことを 臨みました
237  私等があった時には ご両親は非常に率直な方々だと思いました
238  私はジェームズくんのお父さんが集めたナトマベイや それに関する 資料の入った本箱を 見ました
239  ジェームス君のお父さんは 私に見せてくれました それらは ヒューストンや船舶に 関係する記録でした また同様に ジェームズくんのご家族の 体験を示す写真や 年表でした
241  ジェームズくんやご両親は 彼らの実名を使って 出版する許可を 私にくれました
244  私は ジェームズ君を 観察したり接触することができました それは インタビューでの公式的な形やそれから夕食での 非公式的な形でした
245  私はジェームズくんは 陽気で 社交的であると思いました
246  ジェームズくんは もっと年を重ねた時 いくつかの記憶について語ることができるものがあると 示唆しましたが その時は私に何も 言いません
248  ジェームズくんの 成長は順調で今17歳になってます 最近 EAGLE scout になったとのことです

251  議論
252  このケースというのは少年に関するものですその少年と言う のは トラウマ的な 飛行機の 破壊を 呼び起こしているであろうと思われる 振る舞いを 示しているものです
253  それに加えて その子供というのは 彼が生まれる50年前の 出来事についての 知識を 述べています
254  その子供の 的中した正確な たくさんの発言というのは 記録されている それは 亡くなった 形のことが はっきりとわかる前に 記録されているものです そして この子供の案件は その確たる証拠を含んでいる 限られたケースとして認められるものです
258  いくつかの説明は考慮するのに値するものであります

259  不正
260  不正はいつも考えられることであり しばしば 絶対的には除外できないものであります
261  このジェームス君のケースの場合騙そうという動機は ありそうにもない
262  ジェームス君のご両親は実際に ジェームズ君が11歳の時に その家族が体験したことについての本を出版しましたが その本というのは初めから 大規模な嘘を 流そうとしていたとは 思えない
265  将来のある時点での 書籍の出版から得るであろうはっきりしない 利益を期待するのは 何年もの間 不正を働く行為に値するものとは思われない
267  不正というものは その他の潜在的な利益は持っていないし またその不正というものは 友達や家族 また見知らぬ人からの 嘲りを もたらす潜在的な危険を持っている
270  その上もしジェームズ君のご両親が 不正を 続けようと思うならば ご両親は aBC の ストレンジミステリーズの番組を通して 彼らの話を世界自由に 紹介する 絶好の機会を 辞退したであろう
273  ご両親の息子であるジェームズくんが どのようにして ジェームズヒューストンパイロットの生活を 思い出しているかを述べる代わりに ご両親は まだよく氏素性のわからない 第二次世界大戦の パイロットの生活を ジェームス君が思い出しているようだとだけしか いっていない
276  ジェームズヒューストンの素性が 分かった上での 次の ABC の インタビューが およそ2年後までに やってこないし、そしてジェームズ君のご両親は もう一度そのような機会が訪れることを知る方法は 持っていなかった
279  その時までにジェームズ君のご両親以外の かなりの人たちが ジェームズくんが第二次世界対戦について話すのを きいています その人たちの中には 私がインタビューした ジェームズくんの 叔母や 最初の aBC の番組 スタッフも含まれています ですから 彼ら、または子供であったジェームズ君がその嘘に加担しなければ ならなかったはずです
283  このような 状況を考えそして 彼らと 四五時間 お話をした後の ジェームズ君やジェームズ君のご両親の 印象から考えるに このケースが 嘘不正だと言う ことは考えづらいと思います
288  このケースが全くのデタラメということに沿って考えていますと 確かにそこには 無意識的に ジェームス君のご両親が書いた本から ご両親が利益を得ようと言う 潜在的な 意識の 影響というのは それらのケースを語る時の 記憶のないように影響しているかもしれません そしてそれは 実際よりはジェームズ君が言ったこととか振る舞いを 強調したりしてるかもしれません
293  こういった可能性があるので ジェームズヒューストン 自身のことが 特定される前に 起こった出来事、項目を 注視する という理由があります というのは ジェームス君のご両親といえども ジェームズヒューストンの 死んだことの内容を すべて自分達の都合のいいように辻褄を合わせて 作り直すというふうな 能力はあろうはずがありませんから

298  想像
299  あくまで想像的な説明ですが ジェームズくんの 飛行機が 墜落したという明らかな記憶というのは 飛行博物館に いったことによって 引き起こされたジェームズくんの 想像の産物である ということです
301  しかしながらヒューストンくんの強烈な振る舞いというのは そのような可能性を否定しているように思います
302  子供というのは 何か恐怖の刺激にさらされると その後悪夢を見るかもしれません しかしながら 飛行博物館が そのような強烈なトラウマを引き起こすような ふうに 作られるているとは思えません
305  それに加えてジェームズ君の 悪夢というのは 一回や二回でなく 非常にたくさんあります
306  ジェームス君のご両親や 叔母によるとエムズ君は 一週間のうち何度も悪夢を見て そしてそれはいつも 同じ シナリオを含んでいます
308  一日中ジェームス君は 飛行機が 火事で壊れた と何度も言いますそして 強迫的に 飛行機が 壊れた遊びを しますそれは 過去の トラウマのように 見えます
311  このような 悪夢や遊びのタイプというのは 彼らに非常に似た ものがあります 彼らというのは子供達で 現在の生活で体験した トラウマを持っている 子供たちです ただしジェームズくんは 現在ではなく 遠く離れた過去の 出来事と関連してるように 見えます
314  このような振る舞いというのは 前世の 記憶を持っていると いう子供たちには 共通しているものです
317  この想像的な 説明は ジェームズくんの言ったことが 本当にたまたまジェームズヒューストンの 人生と 一致したと 言うことになります
318  観察者は 関連する出来事の 理性的な 説明を 元に一致を 受け入れるであろう時 違った 理由を 持とうとするかもしれない しかしながら この実際の ケースの 場合は その詳細が 確からしさを 保証してるように思える
322  ナトマベイと言う 船の名前のように 通常は ない名前 特定の名前を 言う、そしてその船というのはその子供が言ったように本当に存在している という場合には それで証拠としては十分のように思える
324  ジャックラーセンの名前や ジェームズヒューストンの 死んだことの 異常な詳しい詳細というのがそれに付け加えられた時 一致しているということは 不十分な説明のように思える

328  通常の方法で得られた知見
329  ジェームズくんが 普通の方法で ナトマベイやジェームズヒューストンについて 知ることは可能であっただろうか
330  ジェームズくんは ジェームズくんの周りにいる人たちから そのような情報を 学ぶことはできなかった なぜなら ジェームズ君が周りの人に それらのことを話してる時には 周りの人達は その船やジェームズヒューストンについては何も知らなかった
333  ジェームズくんは 4歳 の時までに その証拠性のある 言動をしていた そして まだ4歳だったので それらについてジェームズくんは 読むことは できなかった
335  とにかくジェームズヒューストンについての資料が出版されているということは なかった
336  ナトマベイやジェームズヒューストン を題材にしたテレビ番組が 作られたことはなかった
338  ジェームスくんとジェームズヒューストンの家族との間には 少しではあるが地理的な繋がりは あった
339  ジェームズくんはカリフォルニアのサンマチオで 生まれて そこの場所というのは ジェームズヒューストンの 姉妹が住んでいた 人口90万人の サンジョゼから最大30マイル 離れていた  だからはこんなに入れないな
341  ジェームス君の家族は その当時 パシフィカに住んでいて そこは サンジョゼから15マイル離れているところです そしてジェームズ君のご両親は ジェームズヒューストンの 姉妹と 接触したことはありませんでした
343  ジェームズくんのご家族は ジェームズくんが 生後4ヶ月になった頃テキサス州に引っ越し そして ジェームス君が 2歳の誕生日に近づいたときにルイジアナに引っ越ししました
345  それらの地域において ジェームズ君の家族はジェームズヒューストンくんやそのご家族と 何か繋がりを 持ったということは ないですし ジェームズくんが 普通の方法でジェームズヒューストンについて 知るということは不可能でした

350  超自然的情報とのつながり
351  もし私たちが 通常の方法では 得ることができないジェームズヒューストンの 人生についての 知識を ジェームス君が 持っている ということを 認めるならば どのようにして ジェームズ君はそのような知識を得たかについて 述べなければならない
353  一つの可能性は ジェームズくんが ジェームズヒューストン について 超自然的な方法とおして 得たということが挙げられます
355  ジェームス君のご両親はジェームズくんは 他のいかなる 超能力を見せたことはないと言っています その超能力というのは ある情報を 超自然的な方法で手に入れるようなものであり それは ジェームズヒューストンの 記憶についてや ジェームズヒューストンとジェームズ君との間の つながりについて 何かはっきりとしたもの がある 必要があります
359  今まで述べてきた通り そのような超能力を示す 証拠というのはありません
361  ケイル氏は 次のような考えを提案しています それは人がなくなるとき 精神の束 または 精神のプールといったものが 出力されるかもしれないという考えです
362  生きているものではありませんが このような情報のプールというものは ある程度の時間生き続けそしてある特別な ものとか 状況に 接触するかもしれません
366  その考えというのは いくらかその子供によって 示された現象により 理解されるかもしれない その子供というのは 前世の記憶を しっかりと持っている子供であります
368  NahmとHasslerは そのようなモデルについての 非常に強い 異議申し立てを書いています
369  彼らの反対の 主張の中には次のようなレポートがあります 中間生の記憶を持っている何人かの子供の 話です その話というのは次のようなことを含んでいます その子供たちは 亡くなった家族と あったということをお話しします その亡くなった家族はその子供たちは通常の方法では 得ることができない 情報をその子供達に伝えています
374  ジェームス君も 中間生の出来事を述べていますが 彼の述べたことの証拠というのは同時には 作られていません
377  ジェームス君の場合は 衝撃的なトラウマ的な 死に方を含んでいます そしてそのことは 精神の束を放出したという可能性を 増しているかもしれません
379  もしもジェームズくんがジェームズヒューストンの記憶を 取り込んだ としたら それが 悪夢を作ったり 外傷後的振る舞いを 行なわせたりさせるのかもしれません
381  戦争で たくさんの人が死んだにも関わらず なぜ ジェームズくんは ジェームズヒューストンの 精神の束だけを 取り入れたかという理由は不明確であるしまた そのことこそ ナムと ハスラーが 唱えている 概念的な 難しさというのがそのような 精神的な束を放出するという説明を 意味のない空論にしている

387  生まれ変わり
388  ジェームズくんの ケースにおける 証拠記録というのは ジェームズくんは 前世と繋がりを持っているという証拠になっている
389  この事実に直面して  ジェームズくんが前世の つながりを持っているということの 明白な説明は次のようなものである  ジェームズくんは 現在のジェームズくんの 人生を体験する前に 亡くなったジェームズヒューストンジュニアの人生を体験したということであります
392  このケースの事実が 示している事は この説明というのが 真剣に考慮される価値があるということです

395  結論
396  過去50年以上の間 前世の記憶を持つと言う たくさんの子供たちの例について研究されてきました
397  そのような子供達は 普通の方法で それは社会的文化的な要因を通して 作られてきたという考えというのは 西洋のケースによって 疑われています 特に 今回の 非常に良い 証拠を記録を持っている ジェームズくんの ケースです
401  ジェームズくんが経験した悪夢や外傷後的振る舞い それは このような子供たちが 見せる典型的な振る舞いではありますが 確かに子供たちが 前世の記憶を持っているということを 実証するのは 非常に難しい
404  確かな記憶と 子供達が経験する感情的な 振る舞い的な 問題の間の つながりに対する理解というのは 家族を助けるかもしれない 特に ご両親が 前世とのつながり について 退けるような場合有効である
409  ジェームズ君のような ケース それは 前世の出来事と 今現在の 子供が 示す記憶との間に 非常に近い一致点があるという ことを知ることは そのような前世の記憶を持っている 子供のいうことをご両親が 無視するのを 少なくしたり そのような前世の記憶を もつ子供たちを もっと助けることが できる

 
資料Table1

項目 情報源 ヒューストンと一致検証 コメント
お母さん、僕は生まれる前パイロットだったんだよ、そして、エンジンを撃たれて水の中に墜落して死んだんだよ ジェームズ君の母親 ヒューストンの飛行機が撃たれたのを目撃した古参兵の記憶.ジェームズ君の父親は3人の目撃者とも話をした。そのうちの一人は後で、テレビインタビューで「私は撃墜をみた、ヒューストンは飛行機の前を、そう、飛行機のエンジンの真ん中を撃たれた」と言った。  
硫黄島の戦いで亡くなった テレビインタビューのナレーションは言った「ジェームズは硫黄島の戦いで無くなったパイロットの一人かもしれない」 混成飛行中隊(VC-81)の歴史と飛行日誌 ヒューストンは硫黄島作戦でナトマベイの唯一のパイロット戦死者である。彼の飛行機は輸送船攻撃中に父島近くの港に撃墜された。
炎上し沈み、脱出できない悪夢 ジャームズ君の父親 飛行日誌より「飛行機の残骸は何も残されていなかった」  
 コルセアを操縦した  ジャームズ君の母親  混成飛行中隊(VC-81)の歴史と飛行日誌  墜落した時コルセアを操縦していたとジェームズ君は言っているようにみえる。このことはヒューストンには当てはまらない。彼は亡くなったとき、FM-2機を操縦していた、しかしながら、もっと早い時期に、航空中隊VF-301にいたころ、コルセアのテスト飛行を行った。
 飛行機は船から離艦した   ジャームズ君の母親  沢山の軍隊記録はジェームズ・ヒューストンが巡洋艦ナトマベイのパイロットであったことを証明している  
彼の飛行機は日本人によって撃ち落とされた ジャームズ君の母親 混成飛行中隊(VC-81)の歴史と飛行日誌  
 コルセアは着陸するときパンクした  ジェームズ  インタビューで空軍歴史家は、コルセアは着陸するとき、バウンドしてパンクする、と述べた