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リターン トゥ ライフ
ジム・B・カッター 著

p92
第4章 三番目のジェームズ

p97
<2000/2 1歳10ケ月>

ブルースは息子を、、カヴァナー航空博物館に連れて行った。
第二次世界大戦の展示室に戻りたいと言い張り、、
おもちゃの飛行機で遊んでいるとき、ジャエームズは繰り返しそれを家族のコーヒーテーブルに打ちつけるようにして、「ひこうきがついらくえんじょう」と言った。


<2000/4  2歳(航空博物館に行った2・3ケ月後)>

悪夢が始まった。
「ひこうきがついらくえんじょう!ちいさな人は出られない!」と叫ぶ、、
毎晩のように同じことをし、、、


<2000/7 2歳(悪夢が始まって数ケ月)>

はっきりと目覚めているときに、ジェームズはこうしたことを語っているのだ。
誰がお前の飛行機を撃ったのかと問い重ねると、、、、憤然とした様子でこう答えた。
「ザ・ジャパニーズ!」


p100
<2000/7 2歳(2・3週間後)>

自分が乗っていた飛行機は、、、コルセアだったと言った。


p101

<2000/8/27 2歳4ケ月>

ブルースはナトマという言葉をインターネットで検索した。
彼はその情報をプリントアウトしたものを持っていた。
プリントアウトされたもののページには、フッターに08/27/2000という日付と共にそのウェブサイトの名前が出ていた。
だからブルースがそれを調べたのはジェームズが生後28ケ月のときだったとわかる。


<2000/9/27? 2歳5ケ月>

ひと月ほどたって彼は別の名を思いついた。、、それはジャック・ラーセンだった。
p102
ジェームズがジャック・ラーセンという名前を口にしていることは明らかだったので、、、
彼は2000年10月16日、アメリカ合衆国先頭記念碑委員会のウェブサイトで第二次世界大戦のデータベースを検索した。
私はそのとき彼が調べたもののコピーをもっており、、、


p104
<2000/10 2歳6ケ月>

ブルースは父親へのクリスマスプレゼントにするために「1945年 硫黄島の戦い」という本を注文していた。
その島(硫黄島)の基地の鳥瞰写真が出ていた。
ジェームズはその写真を指して「ぼくの飛行機がうち落とされたところ」だと言った。

<1週間後>
ブルースはナトマ・ベイの退役軍人と初めて話をした。、、、その時点で、彼(ブルース)はナトマ・ベイという名の艦船が実在し、それが硫黄島付近にいて、その船にはジャック・ラーセンが乗っていたという確証を得た。


p106
<2001/ 3歳>

彼(ジェームズ)は船と飛行機が出てくる戦いのシーンを何度も何度も繰り返し描いた。両親はそれは数百にのぼったと報告している。
この種の強迫的な繰り返しは、大きなトラウマを生き延びたか目撃したかする子供たちにしばしば見られる現象である。
ジェームズはそれらの絵に「ジェームズ3」と署名するようになった。
彼等(ブルース・アンドレア夫妻)がそれについてたずねたとき、彼(ジェームズ)はこう言った。
「僕は3番目のジェームズ。だからジェームズ3なんだ」と。

アンドレアの妹は私に、、ある話を語ってくれた。
彼(ブルース)はテーブルの上に世界地図を置くとそれをぴしゃりと叩いて、ジェームズにこう言った。
「オッケー。それで小さな人の飛行機は一体どこにいたんだ?」
彼の指が小笠原諸島と呼ばれる群島の置かれているのを見た。そこには小さな文字で硫黄島と書かれていた。


<2001/10 3歳6ケ月>

ジェームズは即座にエンジンの前部を指さして、飛行機のプロペラに弾が命中したのだと言った。


<2002/ 4歳>

「ストレンジ・ミステリー」テレビショーに出演
日本人にエンジンを撃たれ、海に突っ込んだ。
p112
「ママ、ぼくは生まれる前、パイロットだったんだよ。それで僕の飛行機はエンジンをうたれて、海に落ちたの。そうやってぼくは死んだんだよ。」といった。
ジェームズはまた、彼の飛行機が撃たれたとき、ジャック・ラーセンもそこにいたと言った。
p112
ヒューストンが撃墜された日の飛行記録、、ラーセンの機はヒューストン機の隣だったことが示されている。
(「ストレンジ・ミステリー」テレビショー以降の探索でわかったこと)
p118
ジェームズはコルセアはいつもタイヤがパンクしていた、とコメントした。
(軍史研究家にそれが事実であることを確認)

<2002/6 4歳2・3ケ月>

ブルースは自分が行っているジャック・ラーセン探索について一人のプロデューサーと話した。
(探索から2年間経過している)


p108
<2002/9 4歳6ケ月>

ブルースはナトマ・ベイの戦友会に出席した。
ジャック・ラーセンはまだ存命だということを知った。
ナトマ・ベイから飛び立って死亡したパイロットは一人しかいないことを知った。それはペンシルベニア出身の21歳の若者で、名前はジェームズ・ニューストンだった。
(以上、2004年クリス・クモオ「プライムタイム」用のインタビューによる)

p110
ブルースは父島に関するあるウェブサイトに、ヒューストンの撃墜についての問い合わせを投稿した。
・退役軍人から電話をもらった。
 「機首に直撃を食らう」のを見た。それを彼はすでに非公式の回想録に書いていた。
・ナトマ・ベイから来た戦闘機が、「機首に直撃を食らう」のを見た
・ヒューストンの機がエンジンを撃たれて炎に包まれ、墜落する直前、アイコンタクトをまじわしたといった。
・彼は機首を、ええ、エンジンのど真ん中を撃たれたんです。
ライニンガー一家がジェームズ・ヒューストンについて何か知る前に「ストレンジ・ミステリー」に収録されていたジェームズが語っていたことと一致する。

p94
<2004/ 6歳>

「プライムタイム」番組に出演

 

 


p114
ジェームズはアニーという姉と、もう一人「ルース」、、という名の姉がいたと、初めにいっていた。
、、ルースはアニーより4歳年上だと言った。
、、ジェームズ・ヒューストンの家族に当てはまった。
私たちはアンドレアの記憶以上のその会話についての証明は何ももっていない。
、、私が最も失望したことの一つは、ライニンガー夫妻が彼らの本を書いた後、アンドレアが依然とっていたメモを記していた螺旋とじノートをなくすか捨てるかしてしまったことだ。
、、ノートを失ったことは致命的な不備であった。
※自分たちの本を出して儲けようとして、カッター博士に会うのを6年間も遅らせたことが原因。


<にもかかわらず、、ジェームズ・ヒューストンの姉がまだ存命であることを突き止めた>
アン(ジェームズ・ヒューストンの姉)は彼らに弟の写真を数枚送ってきた。
コルセアの正面に立つヒューストンを写したものがあった。


以下、夫妻の証言だけ、
p116
アンドレアが語るには、ワイン片手にジェームズの部屋へはいって行った。
ジェームズが、自分の父親はアルコール中毒だと言った。
姉のルースは屈辱だと感じた。
アンドレアがアンに電話してジェームズの話を確認した。
※メモがないので、アンドレアの発言しかない。証拠不十分。なんで、メモを捨てたのだ、、


2歳のころ、ドロップタンクのことをいう
6歳の時、FM-2のプラモデル作ったが当時人々が突き当っていたアンテナがない、という
7歳の時、テレビのナレーターがゼロ戦といったのは間違いで、トニーというのが正しいという、それは合っていた。
5歳の時、ミートローフを食べたとき、ナトマ・ベイ以来だったといった、ナトマ・ベイの退役軍人は、ミートローフはお定まりの食事だったといった。
6歳半のころ、ナトマ・ベイ戦友会に出席、5インチ砲展示をみて、ナトマ・ベイにあったといった、退役軍人に確認できた
その戦友会で、ボブ・グリーンウオルトに、私が誰かわかるか、と聞かれたら、正しく答えられた
6歳のころ、FM-2のプラモデルをみて、オイルをドロップタンクにいれたものだ、といった、ジャック・ラーセンに確認した。

 

p124
3歳、GIジョーをもらう
ビリー、レオン、ウォルターと命名
名前を選んだ理由は、天国に行ったときに会ったから
ナトマ・ベイに乗っていたヒューストンの中隊のうちジェームズの前に10人が戦死
そのうちの3人
人形の髪の色と3人の髪の色が一致
天国はあるのかと聞くと、世界で一番美しいところだ、と言った
神様は男でも女でもない
この世に戻ってくるのは自分で選ぶ
自分がブルース(父)を選んだとき、彼がよいパパになることはわかっていたのだ
自分がブルースとアンドレアを見つけたとき、彼らが自分にとってよいのがわかった
ハワイの大きなピンクのホテル、ディナーを浜辺で食べているとき、ブルースとアンドレアを見つけた