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現生のこころ、死後のこころ、の、認識論

現生のこころ、死後のこころ、の、認識論、
死後のこころ、といっても、特別なものではない、

ヒトがあるものを認識するとは、ヒトがある現象に関心を持ち、その現象の存在の正しさを観察し、その背後にある法則を見出し、その法則を使い類似の現象を説明する、という一連の行いのことを意味し、正当な行為であり、科学的認識行為と称される。---(A)
ヒトは社会的歴史的存在である故、上記の一連の行為は、社会的歴史的要因に影響下において為される。
ヒトは社会的歴史的要因を背負いながら、認識するのである。
天体の運動も、量子力学での素粒子も、現生のこころも、死後のこころも、分け隔てなく、関心がもたれるある現象なのである。上記(A)を満たす行いは科学的認識行為である。科学的認識行為によって生じる結果、法則の是非は、科学的認識行為により反論を述べることができるか、に依る。
現象から、死後のこころ、を除く態度は、科学的認識行為を逸脱するものである。
以降、死後のこころ、の、現象の存在の正しさを観察し、その背後にある法則を見出し、その法則を使い類似の現象を説明する、という一連の行いを進めていきます。

現生のこころ、に対する議論は、様々行われている、そして、結論らしきものは無い、百花繚乱状態である、
心身一元論、二元論、唯心論、唯物論、現象学、、、
私は、デカルトの二元論の立場をとる。
こころには、物質と違い、こころ独自の運動形態がある、それが、死後においても、継続してある運動形態を保持しても理論的には何のおかしなことはないであろう、