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「MIND」p158~ ジョン・R・サール

p158
宇宙の中で 因果的に機能するものは 全て宇宙の一部でなければならない という当たり前の 意味で 物理的な宇宙は 因果的に閉じている 、主観的質的であること 志向性は 物理的なものに関する 三つの基準 空間的な位置と 広がりを持つこと ミクロな物理学によって 因果的に説明可能なこと 因果的に作用しシステムは 因果的に閉じていること からすると物理的である、 それら三つの性質は ある特定の期間の 脳内のある空間に 位置しており より低レベルの 過程から 因果的に説明可能で 因果的に 作用できる

著者は高名な 哲学者と 思っていたが それは間違いのようだ、 言葉一つ一つの使い方のいい加減さ 呆れてしまう 物理的物理的と言いながら何が物理的なのかの説明が全くない 、心的なものが ある特定の 期間の脳内の ある空間に位置しているなどと 何を理由にそのような 断言 ができるのか すべてがすべて 著者の考えの 過程が示されずただ 断言している 、これが哲学する様なのか呆れて物も言えない

 

p159
脳内の 空間で生じる あらゆる 心的な活動は 脳内のミクロな過程によって引き起こされる

脳内の空間で生じるあらゆる心的な活動 というのが本当なのかどうなのかというのが 一番の問題なのに 何も説明もせずに シラット 断言をして議論を終わらせている、 なんなのだこの人は

p159
人間や動物といった有機体のような物理的なシステムが 質的主観的思考的といった 状態を備えているはずがない と考えるのは不合理だ

物理的なシステムが 質的主観的状態を 備えている ことを言いたいがために、 いかにも人間や動物が物理的なシステムであるかのように ごまかしをしている、 人間や動物は物理的なシステムを含んだ生物的心的なシステムなのである

p159
これが本書の最も 重要な主張の一つだ 一旦伝統的なカテゴリーを事実に合うように 改定したなら 心的なものとしての心的なものが 物理的なものとしての物理的なものであることを 認めることに問題はない、心的なものと物理的なものについての従来のデカルト式の定義を共に改定しなければならない

なんなんだこの人は こんな説明で 重要な問題を終わらせたかのように勘違いしている、 このいい加減な 考え これ以降も こんな考えに付き合わなければならないのか 時間の無駄にしか思えない

p164
意識を 神経的な基盤へと 因果的に 還元することはできる、 だが その還元は 存在論的な 還元を導くものではない 、なぜなら 意識は 一人称的な 存在論を備えており もし意識を三人称の 用語で 定義し直せば 意識と言う 概念を持つことの 意義を 失うことになるからだ

ここに来てまともなことを言い始めている感がある、今までの ページに書かれている内容と 違った内容が書かれ始めてる気がする 、ただ意識を神経的な基盤に 因果的に 還元することはできると言うが それは違うだろう、 二つの経路があり 足を踏まれた痛みというのは神経的な情報となり脳に到達し 次に不明な何かの作用により 意識として認識される 、逆に 哲学を考えようという意識は 体を使って周りの状態を、 考えることができる環境に 整えるだろう、 足を踏まれたからあるいは何らかの神経的な刺激によって哲学を考えようという意識にはならない 、意識には二通りあり 神経の刺激を即物的に 認識する機能と 、独自に 何かを 行おう という 物理的神経的なものとは全く関係のない 機能 の 二つ である