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「MIND」p82~ ジョン・R・サール

p82
同一説への反論
ライプニッツの法則は任意の二つのものが同一であるなら両者は 全ての性質を共通に備えているはずだと主張する

※そうであろうそもそも 同一の定義自体がそういうことなのだから 心と脳が同一とは言えない 

p89
あなたと私が共にデンバーはコロラドの 首都 だと信じているとする もしそこに 私たちの脳状態の他に何もなく二人が 異なる脳状態の タイプにあるとしたら正確に言って私たちは何を共有していることになるのだろうか

トークントークン説とかタイプタイプ説とか 本当に レベルが低い議論をするものだ
このような ひどい議論をしている 哲学者の 先生方には 呆れてしまう

p92
機能主義の基本的な動機は いったいなぜ私たちは 人々に心的状態があると考えているのか という問いに答えることだった
その回答はこうだ
人々は信念や欲求を 抱く なぜなら人々の行動を説明したいからだ 機能主義はこうした 洞察 の全てを捕らえて きたと思う

この文章の意味がわかる人がいたら見てみたいものだ
翻訳が悪いのか 著者がおかしいのか こんな表現の混じっている本を 読破 するのは先が思いやられる

p105
消去的 唯物論はこう論じる
信念や欲求などを前提する理論とは何か それは 常識 、あるいは心理学の祖先学術論文では 通例、民間心理学と呼ばれている理論だ 、しかし今や 唯物論の物語が進むにつれて民間心理学は不適切で全くあやまった 理論だと 言うことがほぼ確実になった 、よってその前提となっている信念や欲求といった心的状態が錯覚であることが示されるということになる

開いた口が塞がらないと言う しかない
民間心理学とは一体何者か
なんにせよ 全ての人が実感している信念や欲求という概念を錯覚と言う このバカさ加減、 なんでこんなめちゃくちゃなことが 議論されてしまうのか 、この類の 哲学者は 認識の正しい方法を持っていないように見える
事実をまず確認する
その背後にある法則を考える
その法則を持って他の類似事象を説明する
こんなことは当たり前だろう 、まず初めに新年や欲求と言った 感覚概念が 全員が持っている という事実を認めるのが一番最初の 基本認識であろう 、それを認めずに何を議論しようというのかこいつらは


p106
神経科学が発展して もはや 信念や 欲求といった類の 概念は お払い箱になっている、 なぜなら そうした概念は 神経生物学のカテゴリーに適合しないからだ

一体何を言っているのか 、哲学者は 基本的な 認識方法論を持ち合わせていないように見える、 驚きを超えて 唖然とする、 こんなことが哲学の世界で 議論されているとは 時間の無駄だ 、まず現実を見ると信念や欲求というものは実在する 、それを見ずに神経生物学のカテゴリーに適合しないという 理由 で それらの概念を 無しとするのは 一体何なんだ 、こいつらは一体何なんだ

p107
心的なものと物理的なものに関してはそのように厳密が決定論的因果法則は存在しない、 したがって いわゆる 心 的な出来事は全て物理的な出来事である

何を言ってやんで、こんなことでよく学者をやってられるね 、心的なものと物理的なものに関して厳密な決定論がないなどといつわかったんだ、誰が言ったんだ、永遠にそうなのか、単純にまだ そこまでの 調査研究が進んでないだけではないか